大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和51年(ワ)11058号 判決

原告

永井よね子

ほか一名

被告

引地トメ

ほか一名

主文

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自原告永井よね子に対し、金三二〇万〇〇二七円及び内金二四〇万三三六〇円については五二年一月九日から、内金七九万六六六七円については昭和五四年一二月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、各自原告永井豊に対し、金六四〇万〇〇五三円及び内金四八〇万六七二〇円については昭和五二年一月九日から、内金一五九万三三三三円については昭和五四年一二月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生(以下、本件交通事故という。)

(一) 日時 昭和五〇年二月二五日午前七時三二分ころ

(二) 場所 千葉県市川市北方町四―一四三七所在の交差点

(三) 加害車 普通乗用自動車(品川五六の一七八四号)

右運転者 被告小澤清子(以下、被告小澤という。)

(四) 被害車 自転車

被害者 訴外亡永井久平(以下、訴外亡久平という。)

(五) 態様 訴外亡久平運転の自転車が前記交差点を本八幡方面から徐行進行中、同交差点を松戸市方面から中山(船橋市)方面へ進行して来た加害車に衝突された。

2  責任原因

(一) 被告小澤の責任(民法七〇九条)

被告小澤は加害車を運転して本件交通事故現場である信号機による交通整理の行なわれている前記交差点にさしかかつたが、進路の対面信号が赤色を表示していたのであるから、交差点手前に安全に停止すべき義務があるのに、これを怠り、時速六〇キロメートルの高速のまま接近して同交差点手前の左側ガードレールに自車を衝突させ、その反動で右交差点内に同車を進行させて亡久平運転の自転車に衝突させたものである。

(二) 被告引地の責任(自動車損害賠償保障法三条)

被告引地は加害車を所有し自己のために運行の用に供していたものである。

3(一)  傷害の部位、程度

訴外亡久平は、本件交通事故により次のような傷害を受けた。

(1) 左膝関節屈曲制限

〈1〉 屈曲

自動 左一一〇度 右四五度

他動 左一一〇度 右四〇度

〈2〉 伸展

自動 左一六〇度 右一八〇度

他動 左一七〇度 右一八〇度

(2) 歯の折損

12/3

(3) 難聴 両側感音難聴

オーデイオメーター検査成績

〈省略〉

db

以上

〈省略〉

(4) 言語障害 中枢性失語症

(5) 左握力減少 左握力5 右握力20

(6) 頭部左回旋制限

前屈  四五度 後屈  一〇度

左屈  一〇度 右屈  二〇度

左回旋 二五度 右回旋 七〇度

右各障害は、(1)は自動車損害賠償保障法施行令後遺障害等級一〇級一〇号、(2)は同一四級、(3)は同一一級四号、(4)及び(5)はいずれも一四級に該当し、結局同九級に該当する。

(二)  損害

訴外亡久平は、本件交通事故に基づき次のような損害を被つた。

(1) 治療費 金三三二万六三二〇円

訴外亡久平は、前記傷害の治療費として合計金三三二万六三二〇円の支払を余儀なくされた。

(2) 休業損害 金二五三万円

訴外亡久平は、本件事故当時七〇歳で、市川市所在の訴外来生建設に舗装工として勤務し、平均金一五万円の月収を得ていたが、本件事故により前述の傷害を受け、昭和五〇年二月二五日から同五二年六月五日まで四六七日入院、その後後遺症認定の日である昭和五一年七月一四日まで自宅療養し、その間全く就労することができなかつた。したがつて、訴外亡久平は合計金二五三万の得べかりし利益を喪失した。

150,000円×506日/30日=2,530,000

(3) 付添看護費 金一二万六〇〇〇円

原告永井よね子は、訴外亡永井久平が本件交通事故により入院し、その付添看護を必要とする状態であつたために昭和五〇年二月二五日から同年五月九日まで、および昭和五一年三月二五日から同年同月二四日まで合計八四日間付添看護した結果、合計金一二万六〇〇〇円の支出相当の経済的損失を被つた。

1日1,500円×84=126,000

(4) 入院雑費 金一四万〇一〇〇円

訴外亡久平は、前述入院期間中の雑費としてつぎの金員の支出を余儀なくされた。

1日300円×467=140,100

(5) 慰藉料

〈1〉 入通院慰藉料 金二五三万円

〈2〉 後遺症等慰藉料 金五〇〇万円

訴外亡永井久平は本件交通事故による受傷のため前記のような後遺症を残し、さらに右受傷により昭和五四年一〇月一六日死亡したので、この精神的苦痛を慰藉するには金五〇〇万円と認めるのが相当である。

(6) 逸失利益

訴外亡久平は、前記後遺障害により合計金二二三万三九八〇円の得べかりし利益を喪失した。

事故前の月収 金一五万円

就労可能年数 四年 ライプニツツ係数三・五四六

労働能力喪失率 三五パーセント

150,000円×12×3.546×35/100=2,233,980

(7) 損害の填補 金六二八万六三二〇円

訴外亡久平は本件交通事故に基づく損害賠償請求権に関する支払として自動車損害賠償責任保険金金二六一万円、任意保険金金三三二万六三二〇円、被告小澤清子から金三五万円の金員を受領した。

(8) 権利の承継

訴外亡永井久平は、昭和五四年一〇月一六月死亡したが、原告永井よね子は、訴外亡久平の妻であり、また原告永井豊は、訴外亡久平の長男であり、昭和五四年一〇月一六日、同訴外人が被告両名に対して有していた金九六〇万〇〇八〇円の損害賠償債権をそれぞれ持分三分の一および三分の二の割合で法定相続により取得した。

4  原告永井よね子は、連帯して被告両名に対し、金三二〇万〇〇二七円およびうち金二四〇万三三六〇円については本訴状送達の日の翌日である昭和五二年一月九日から、うち内金七九万六六六七円の後遺症慰藉料については、本準備書面到達の日の翌日である昭和五四年一二月二一日から各支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告永井豊は、連帯して被告両名に対し、金六四〇万〇〇五三円および内金四八〇万六七二〇円については本訴状送達の日の翌日である昭和五二年一月九日から、うち金一五九万三三三三円の後遺障害慰藉料については本準備書面到達の日の翌日である昭和五四年一二月二一日から各支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項のうち(一)ないし(四)の各事実は認め、(五)の事実は否認。

2(一)  同第2項(一)の事実は否認。

(二)  同第2項(二)の事実中、被告引地が加害車を所有していたことは認め、その余は否認。

3(一)  同第3項(一)の事実は知らない。

(二)  同第3項、(二)、(1)ないし(6)の各事実は争う、(7)の事実は認めるが、総弁済額は後記するように金九三三万七三七一円である。(8)の事実は知らない。なお、亡久平の死亡は後遺症状の固定した約一年後のことになるので本件交通事故との相当因果関係はない。

三  抗弁

1  過失相殺の抗弁

被告小澤清子は、松戸市方面から中山(船橋市)方面へ向けて進行中、信号機のある本件事故交差点にさしかかつたところ、信号が青なので時速六〇キロメートルのまま直進した。その際、進行方向と直角に交わる道路の右向こう側を、右から左へ向けて信号を無視して交差点に進入して来た原告運転の自転車を約一六メートル手前で発見し、危険を感じて急ブレーキをかけハンドルを左にきつたが間に合わず、本件事故となつたのであるから、本件交通事故は、専ら信号を無視して交差点に進入した原告の過失によるものである。したがつて、原告の過失は、少なくとも八〇パーセントと認められるので損害額の算定にあたり右割合による過失相殺をする。

2  弁済の抗弁

被告小澤清子は、訴外亡久平に対し損害賠償として治療費金四四五万二九二一円、看護費金一二九万四四五〇円、示談生活費名目金五〇万円、その他金四八万円と自動車損害賠償責任保険金金二六一万円の各金員、合計金九三三万七三七一円の支払を了した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項の事実は争う。

2  同第2項の事実中、治療費として金三三二万六三二〇円を、示談生活費名目金として金三五万円を、自動車損害賠償責任保険金金二六一万円を各受領したことは認めるが、その余の点は否認。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因第1項(事故の発生)、(一)ないし(四)の各事実(日時、場所、加害車、右運転者、被害車、被害者)は当事者間に争いがない。

二  原本の存在は争いがなく弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証、成立に争いのない甲第六号証の一ないし四、同甲第六号証の五の一ないし八、証人大宮良輔、同小沢咲、同来生孝の各証言、証人永井豊及び同永井よね子の各証言(但し、後記採用しない部分を除く。)被告小澤清子本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  本件交通事故現場は、松戸市方面(北方)から船橋市方面(南方)へ通じる平坦直線の乾燥したアスフアルト舗装の県道(以下、甲道路という。)と市川市東管野方面(西方)から市営霊園方面(鎌ケ谷方面、東方)へ通じる平坦直線の乾燥したアスフアルト舗装の道路(以下乙道路という。)とが交差する信号機により交通整理が行なわれている交差点の南端付近であつて(乙道路沿いに河川がある。)、その状況は別紙図面のとおりであるが、これを略説すると、甲道路は交差点を挾んで、横断歩道が設置され、車道幅員は約八メートル、片側一車線であり東端にはガードレールが設置され、その外側に幅員二メートル(交差点南側は幅員二・五メートル)の歩道がある。乙道路は交差点を挾んで、横断歩道が設置され、車道幅員は九メートル、片側一車線であり両外側には幅員一メートル、非舗装の歩道がある。交差道路の見通し状況としては甲道路の南進車は右方の見とおしは良好であるが、左方の見とおしはやや不良であり、乙道路の東進車は右方の見とおしはやや不良であるが左方の見とおしは良好である。そして不整形の多角形をなす同交差点内の南側は河川を跨ぐ橋(市川橋)であり(後記衝突地点はこの橋上である。)、また甲道路の交通規制としては制限速度六〇キロメートル毎時、駐車禁止となつている。

2  被告小澤清子は、助手席に訴外母小沢咲を乗せた加害車を運転し、甲道路を毎時約六〇キロメートルで先行車もなく南進中、本件交差点の手前約四二メートルの別紙図面〈一〉の地点にさしかかつたとき、同交差点の対面する信号が青色を表示しているのを確認して更に南進したが、同交差点手前約一四メートルの別紙図面〈二〉の地点で前方二九メートルの同〈A〉の地点(交差点の南西端、甲道路西端)に自転車に乗り片足をついて止つている訴外亡久平を認めた(なお、乙道路の進路対面の両信号はいずれも赤色を表示し、これに従つて停車中の車両が左右にあつた。)、同被告はなお時速約六〇キロメートルの速度のまま前進していたところ、交差点手前の横断歩道の少し手前辺りで対向して来たトラツクと擦れ違い、再び交差点の左方も見えるようになつた別紙図面〈三〉地点(〈二〉地点からは一四メートル前進)で左前方一六メートルの同〈B〉地点(〈A〉地点からは三・二メートル東方である。)を右斜めに横断中の自転車を発見し、直ちに急制動の措置をとり左に転把するも、前方一七・五メートルの別紙図面〈×〉地点(以下、衝突地点という。〈B〉地点との距離は三・九メートル。)で自車左前部を自転車左側に衝突させ、被害者及び自転車をはね飛ばし、衝突地点の前方一一メートルの別紙図面〈C〉地点に自転車を、同じく一四メートルの同〈D〉地点に訴外亡久平を転倒させ(同訴外人は右腕を下に、腹部をガードレールに向けて倒れた。)、自車を左端のガードレールに擦らせて前方八メートルの同〈D〉地点に停車させた。

3  訴外永井久平は、明治三七年八月三日生れ(当七一歳)の健康な男子であるが、本件交通事故日の昭和五〇年二月二五日午前七時三二分前ころ、本件交差点の東方に所在する仕事現場へ自転車に乗り出勤の途中、乙道路を東進して同交差点にさしかかつたところ、対面の信号は赤色を表示していたので乙道路左端(別紙図面〈A〉地点、甲道路西端)において甲道路を北進するトラツク(加害車が交差点の手前で擦れ違つた車両)が通過していつた後に、赤色対面信号の表示にもかかわらず甲道路(市川橋)を横断し始め別紙図面〈B〉地点を通りやや斜めに前進した同〈×〉地点(〈A〉地点からは七メートル前方)で、前記七時三二分ころ加害車の左前部と衝突し、前方〈D〉地点にはね飛ばさわて転倒したものである。右事故の直後、衝突地点の傍を前記トラツクの後続車両が北進通過した(なお、訴外亡久平は、日頃、仕事現場には午前六時四〇分ころには必ず到着し、午前七時からの勤務開始時刻を遵守していたものである。)。

4  本件事故後の現場の状況としては、訴外久平の倒れていた別紙図面〈D〉地点に挙大の血液が付着していた。また加害車の状況は左前部フエンダーの左前照灯の横が凹損し一部塗装が剥げ、左ウインカーのライト部分が曲つていた。自転車は中央の上パイプ及び下パイプが左方にくの字形に曲損した。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証人永井豊及び同永井よね子の各証言部分は前掲各証に照らし未だ採用するに足りず、甲第一一号証は右認定を左右するに足りず、他に右認定に反する証拠はない。

三  前記第一及び第二項で認定した事実関係によれば、被告小澤は信号機により交通整理の行なわれている本件交差点を青色表示の信号に従つて先頭車として直進通過するに際し、青信号に従い法定の制限速度(六〇キロメートル毎時)を遵守して進行したからといつて直ちに同人に過失がないと速断することは許されず、このような場合、自動車運転者としては、当該交差点の状況に応じて安全な速度と方法で進行し交差点付近及び内の状況を十分に確認しつつ安全に進入し通過すべき注意義務がある。そこで、この点につき以下検討するに、被告小澤は、前記認定のように、午前七時三〇分過ぎころ、変形の交差点を青色信号に従つて前記速度で進入しようとし、前記〈二〉の地点で前方二九メートルの〈A〉地点(交差点の南西端)に自転車に乗りながら信号待ちをしている訴外亡久平を認め、対向トラツクと擦れ違つた直後に前記〈三〉地点で前方一六メートルの〈B〉地点に赤色信号を無視して斜め横断中の右自転車を発見し、直ちに急制動の措置をとり左転把するも及ばず、前方一七・五メートルの〈×〉地点で衝突したものである。被告小澤が前方注視義務を尽していたのであるから、問題は加害車の速度が安全適切であつたかどうかに絞られるのであるけれども、本件では交差点内に歩行者に準ずべき自転車運転者がいたのであるから原則として減速して通過すべきであるというべきである。しかしながら、本件においては横断中の自転車を発見した位置で衝突を回避できる速度は少なくも時速三五キロメートル(この場合には、空走距離は七・七七メートル、制動距離は六・七五メートルで合計一四・五二メートルで停止できる。)でなければ事故の発生を避けるのが難しい場合である点に思いを致すとき、適切な減速の程度について判断するまでもなく、被告小澤には毎時六〇キロメートルの制限速度内で毎時三五キロメートルにまで減速していなければ事故を回避できないような危険な行為に出る歩行者等を予見すべき注意義務はないといわざるを得ないから、同被告には、結局、本件交通事故に関する過失は認められず、他に同被告に民法七〇九条の過失を認めるべき証拠はない。したがつて、被告小澤に本件交通事故に基づく損害賠償義務はない。

四  次に、被告引地トメの責任原因を検討すると、被告引地トメ本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、加害車の所有名義人である被告引地は、被告小澤清子のおばであり、同被告が加害車を購入した際、同人から税金対策のため自己の代りに所有名義人となることを依頼されたのでこれを了承した結果、加害車の所有名義人となつていた者に過ぎず、自動車の買入代金の支払、管理維持費、ガソリン代等は総て被告小澤の負担で賄い、車庫の名義人は同被告であり、加害車は購入と同時に被告小澤のもとに置かれ、その使用状況も当初都内で両被告は隣家同志であつたけれども運転資格のある被告小澤だけが利用し、運転資格もない被告引地はこれを利用したことがなく、被告小澤の転居後は加害車につき何ら知るところもなく、本件交通事故日まで加害車に乗車したことは皆無であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

以上認定の事実関係によれば、被告引地トメは自動車損害賠償法三条の「自己のために自動車を運行の用に供する者」に該らないといわなければならない。

五  原本の存在とその成立に争いのない甲第一四号証、成立に争いのない甲第一五ないし第一八号証によれば、訴外亡永井久平は、昭和五四年一〇月一六日死亡したが、原告永井よね子は右訴外人の配偶者であり、原告永井豊はその実子であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

六  以上のとおりであるから、原告らの被告らに対する本訴各請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲田龍樹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例